マルクス・ガブリエル、中島隆博『全体主義の克服』の読後感

 全体としてみれば、彼らの博識は驚異的だ。本書ではじめて知ったことは多い。しかしかなりの箇所においてやや極端に走りすぎているような印象も受けた。

本書を読んで特に驚いたこと
 ハイデガーハーバーマスへの激しい批判。ハイデガーハーバーマスも読んだことはない。ハイデガーについてはサルトル無神論実存主義者の1人に挙げていたこと、ナチスに妥協的だったということはどこかで読んだ記憶がある。しかし、「残酷なナチ」と非難されるほどナチスに近かったとは思っていなかった。
 ハーバーマスは新聞や雑誌などの記事で断片的にその発言や行動を知って、リベラルな哲学者だと思っていた。しかしガブリエルによると、彼がフランクフルト学派を破壊したということだ。さて、どうなのだろう。

おおむね共感しつつも、やや疑問も感じたこと
 サイバー空間は反民主主義であり、デジタル・ユーザーの行動は中流階級の崩壊とあいまってデジタル全体主義を作り出している。現在危険なのは独裁者による上からの支配ではなく「市民的服従」による下からの全体主義である、という主張。

 たしかに、日本や欧米におけるそのような傾向は否定しがたい。しかし、このような危険性を強調するあまり、中国、ロシア、トルコなどの政治体制をアメリカやイギリスと同一視するのは賛成できない。たしかに、習近平プーチンエルドアンといった人物の支配が新たな下からの全体主義体制をも利用し、それによって強化されているのは事実である。しかし、彼らの統治は同時に投獄や強制収容所、暗殺といった旧来の独裁の要素をも備えているのであり、むしろそれを特徴としている。サイバー空間はそのような体制への批判にも用いられている。

 多数派による一方的な批判やネットの炎上もきわめて危険ではあるが、強制収容所や人権無視の投獄、処刑と同一視することはできない。ロヒンギャ難民への対応には問題があるにしてもアウンサンスーチー政権と軍事政権を同一視はできない。