クリストファ・ワイリー『マインドハッキング』の読後感

 SFの愛読者が本書を読むと、その多くはアイザック・アシモフの古典、『ファンデーション』のシリーズを思い出すだろう。
 ただし、大きな違いがある。歴史心理学者(アシモフの用語。彼がこれを執筆した頃には心理学はまだ個人の真理を対象にした学問にとどまり「社会心理学」や「集団心理学」という分野は成立していなかったのであろう)の創始者であるセルダンが、表向きは『百科辞典』の編集者集団として、ファンデーションを設立したのは銀河系帝国の危機を予見し、それに対応するためであった。私がこのシリーズに熱中して寝食を忘れた時代からすでに40年は過ぎているから記憶ははっきりしないが、少なくとも当初においては、ファンデーションは銀河系帝国の成熟と老朽化を原因とする危機に対応するための、善意の集団であった。
 しかし、ケンブリッジ・アナリティカは逆である。セルダンによって創設された組織同様に膨大なデータを用いて民衆の行動を予見し、それを操作しようと試みるけれども、その目的は利潤であり、違法行為も辞さない。結果としては我々の社会に危機をもたらすものとなっている。

 本書の15ページにはこう書いてある。
「無数の電子メール、内部メモ、請求書、銀行取引明細、プロジェクト文書・・・を点検すれば、トランプとブレグジットの両陣営が同じ戦略を取り、同じテクノロジーを使い、同じ人的ネットワークに依拠していたのは明白だ。しかも、背後ですべてを操っていたのはロシアの勢力だった」
 フェイスブックによって収集された膨大な個人データを道具として、このような戦略を請け負ったのがケンブリッジ・アナリティカであり、本書はそのようなプロジェクトに当初から関わりつつも途中で疑問を抱くようになり、最終的には内部告発に踏み切ったクリストファ・ワイリーの回顧録である。

 巨額の資金に支援されて膨大なデータが分析され、仮説が検証され、そして有権者をターゲットとした様々な、誇張され虚偽に満ちた情報が叩き込まれる、
 これが小説なら面白いが、これが現実であり、しかも成功を収めるのだから大変だ。たとえば、バージニア州知事選挙の分析からは次のような事実が発見される。
「一貫して非常識である限り、どんな非常識な候補者でも受け入れる――これが実験で判明した共和党支持者の特徴だ。極めて重要な発見であり、それ以降にCA(ケンブリッジ・アナリティカが手掛けるすべてのことの土台になるのだった。」
 すなわち、共和党支持者は保守的で新しいことへの好奇心は弱い。したがって予測不可能なことは受け付けない。しかし、いったん候補者が変わり者で非常識だと分かってしまえば、彼が非常識であることそれ自体から奇行やフェイクも予測可能となり、彼は支持されるのだ。
 そして、そのような発見に基づいてCAが立案し推敲されたプロジェクトが、トランプ大統領の誕生に繋がったとワイリーは述べている。

 この件に関するフェイスブックの対応も注目に値する。膨大なデータが流出したにもかかわらずフェイスブックはその事実を認めず、ワイリーに圧力をかけて隠蔽するかのような行動を取った。ザッカーバーグが謝罪を公表したのは事態がほぼ完全に明るみに出て世論から激しい非難を浴びたあとであった。