『笹の舟で海をわたる』
角田光代の『笹の舟で海をわたる』を読んだ。いつものように読み始めたら止められなくて最後まで一気に読んだ。気がついたら午前2時。
日本を代表する今の作家といえば村上春樹だろうが、ぼくは角田光代の方が好きだ。読んだ作品すべてというわけではないが、その多くに何かしら謎めいたものが存在して、解決するにせよしないにせよ登場人物はそれにこだわる。しかし、最後は悟りとも諦めともつかない心地よい状態で終わる。すなわち救いがある。この作品もそうだ。心地よさといっても歓びというほどではない。悟りと諦めの中間のような一応の納得、それが多くの作品の最後で示される。だから、不自然な高揚はないが安心して読める。この作品もそうだった。
最後の佐織の述懐
「ああやっぱり、悪いことをしたら不幸になるのでも、いいことをしたから幸せになるのでもない。そのどちらもが、人生に影響など及ぼさず、ただ在るのだ。ただ在る、でも私たちはそれから逃れられない。」
堀田善衛『バルセロナにて』
「バルセロナ市は、1992年オリンピックのゲームを主催することになってい、市はその準備に大わらわである。けれども、誰も、半世紀前の、ヒトラーのそれに対抗しての、バルセロナ労働者オリンピックのことなど、私の知る限り、このバルセロナにあってさえ覚えている人も、思い出す人もありはしない。」
この労働者オリンピックは、1936年に成立したスペイン人民戦線内閣に参加していたアナーキストたちがヒトラーのベルリン・オリンピックへの対抗として計画したものであったが、フランコがアフリカで蜂起し、スペイン内戦が始まったことによってその開始以前に中止された。
堀田はこの労働者オリンピックの記事を慶応大学法学部予科に入学した1936年7月に日本の新聞の小さな記事で知ったという。
『方丈記私記』
「この時代の兼実の玉葉日記、定家の明月記に、もっとも情熱を込めて書かれてあることは、世の移り変わりでも何でもありはしない。それは宮廷の、儀式、典礼、衣装、先例、故実、行列の順番、席次など、まとめて言って有職故実であり、それらの事を事細かに書かれた日記は、実は子孫に伝える大切な財産でもあった。子孫は、この日記に記された先例、故実の知識をふりまわして威張り、かつ飯のタネにすることが出来る。定家は三月に冬の衣装を着て休憩へ上がってきてクビになった苦行のことをしるしていた。」
(同上、236ページ)
「私には、この時代について、およびこの時代の「世」について考えるとき、二人の、二つの極に立つ人の姿が見えている。長明が一方の極にある人として、さらにもう一方の極にある人としては身みずから罰せられて「世」に出て衆生救済そのものと化した人としての親鸞が見えている。」